子どもの頃の記憶をたどると
大人たちは皆むけていたような気がする。
父と一緒に風呂に入る。
銭湯や温泉に行く。
まわりのおっさんたちは当然のようにむけていた。
圧倒的に包茎が少ないのだ。
皆無である。
統計資料では包茎の割合はけっこう高い
記憶と合致しない。
これは一体どういうことなのか?
包茎の大人はそもそも温泉にこないのか?
みんなむいているのだ。
足立文太郎という解剖学者が
この問題を研究した。
解剖にまわされる遺体には包茎が多い。
しかし銭湯で観察すると包茎が少ない。
足立はここに疑問をもった。
まず足立は軍医の協力を依頼した。
軍隊では徴兵検査があるからだ。
広島歩兵部隊485名を調べ
包皮の形状と割合の統計をとった。
割合は以下のとおり
1,包茎:4名
2,包茎だが反転可能:137名
3,包皮を伸ばせば覆える:317名
4,包皮を伸ばせない:27名
真性包茎、仮性包茎、露茎、完全な露茎
という分類である。
足立は「3、包皮を伸ばせば覆える:317名」に注目した。
この中には、包皮が亀頭の後方へ
めくれあがっているものがある。
自然なプロセスではなく
人為的にめくりあげたのではないのか?
足立は「3,」の男たちに問いただした。
包皮を自分でたくし上げたのではないか?と。
軍医からも同じ質問をさせた。
兵士達の回答は・・・、
包皮がむけるようになった後も
皮かぶりだったので
包皮を反転させてたくしあげ
亀頭を露出させるようにした。
最初のうち包皮は元の位置に
戻りがちだったけれど、
ついには巻き上がったまま
そこにとどまるようになった。
8-9割はこういう回答だった。
兵士らには迷惑な話である。
繊細さのかけらもない。
日本人は包茎?
足立は結論する。
日本人はもともと包茎である。
常にむく習慣があったからむけた。
むかなかった者は皮かぶりとなった。
『本邦人の包皮について』「東京人類学雑誌」161号pp.427-434(1899年8月)
みんな一生懸命むいていたのだ。
それから知らん顔で銭湯へ行っていた。
もともとむけていたかのように。
現在よりも人前で裸になる機会は多かったろう。
包茎をあざ笑う無神経さも当然のようにあった。
必死でむいたのだ。
包茎を嫌うのは文化である。
そしてこの価値観は現代でも続いている。
今を生きている以上
周囲の価値観と対面する。
包茎をむくのも戦い,
むかぬのもまた戦いである。